第5章 サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ
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死んだ鳥症候群
死んだ鳥症候群
私たち研究者の間で昔から言い伝えられるある種の致死的な病の名称である
私たちは輝くような希望と溢れるような全能感に満たされてスタートを切る
私たちは世界の誰よりも実験の結果を早く知りたいがため、幾晩でも寝ずに仕事をすることをまったく厭うことがない
経験を積めば積むほど仕事に長けてくる
しかしやがて、最も長けてくるのは、いかに仕事を精力的に行っているかを世間に示すすべ
鳥は実に優雅に羽ばたいているように見える
しかしそのとき、鳥はすでに死んでいるのだ
鳥の中で情熱はすっかり燃え尽きている
ポスドクという名の傭兵
研究は組織の中で行われているように見えるけれど、結局、研究とはきわめて個人的な営み
米国のシステムは日本の大学を呪縛する講座制とはかなり異なる
職階はあるが、職階間に支配-被支配関係はない
それぞれが独立した研究者であり、肩書は純粋に研究キャリアの差
独立した研究者とは、自らのグラントを自分で稼げる研究者ということ
それゆえ彼らの最優先事項は、国の研究予算あるいは民間の財団や寄付などを確保することであり、それに狂奔する
大学と研究者の関係は、端的に言って貸しビルとテナントの関係
大学は研究者の稼いだグラントから一定の割合を吸い上げる
これをもって研究スペースと光熱通信、メンテナンス、セキュリティなどのインフラサービス、そして大学のブランドが提供される
ポスドクは独立研究者がグラントで雇い入れる傭兵
米国の研究室は基本的にボスとポスドクという単位で成り立っている
純粋に期限付きの雇用契約
賃金は安い
それでもポスドクが日々ボスのために研究に邁進できるのは、次に自分がボスになる日を夢見てのことである
ラボ・テクニシャン、スティーブ
ラボ・テクニシャンとは日本語にあえて訳せば研究室技術員
研究社会の身分制度からいえば、ラボ・テクニシャンは完全な傍系にある
ただただ研究室のルーチン作業を担当する
ラボ・テクニシャンのスティーブ・ラフォージは実に様々なことに精通しており、実に親切にその一つ一つを私に教えてくれた
その精通ぶりはプロフェッショナルとして研究のあり方を知っている
スティーブは進んでテクニシャンをしているのだった
研究室のボスはスティーブの働きにいつも敬意を表して、彼が関与したプロジェクトの論文には必ずスティーブの名前を共著者に入れていた
マリスの伝説
自由であるためのスタイルは他にもある
ポスドクを渡り歩く
幸いなことに米国には大きなポスドクの市場があり、常に流動している
キャリー・B・マリスは最初から、研究者を縛るこの幻想から自由でありえた、言葉の本当の意味で自由な人だった
彼はポスドクを渡り歩きながら、あるときはファーストフードの店員だったり、小説を書いたりしたこともあった
「あなたを形容する言葉として、エキセントリック、奇行、不遜などいろいろなものがあるのはよくご存知だと思いますが、自身を形容するのに最もぴったりとした言葉があるとすればなんでしょう?」
「それはオネストだね。私はオネスト・サイエンティストだよ」
PCRの発明者として、マリスの名前が現れたとき、彼を取り巻く様々な噂が伴われていた
サーファー
LSD
女性問題
講演会で降壇させられた
PCR利権から外されたので未だにシータス社を恨んでいる
結婚と離婚を繰り返している
エイズの原因がエイズウイルスでないと主張している
これらの噂は彼の口から発せられたことを源とし、概ねそのとおりだった
マリス最高の「伝説」は、ドライブデートの最中にPCRをひらめいた、ということに尽きる
彼は生命の本質が自己複製にあることを知っていた
DNAが相補的な二本の鎖から成り立っていること、それが互いに他を鋳型として複製されることも知っていた
プライマーと呼ばれる短いDNAがその複製を開始すること、そしてプライマーはたやすく人工合成できることも知っていた
しかし、これらすべてのことは当時の科学者なら誰でも知っていることだった
マリスはフロントガラスを見つめながら、どのようにすれば三十億文字もあるゲノムDNA配列の中から特定の配列を検索しうるかを考えていた
特定の配列を持つ短いDNA(オリゴヌクレオチド、プライマー)を合成し、それをゲノムと混ぜ合わせ、プライマーが結合した場所から相補的なDNAを合成する
彼は最初、この反応を「繰り返せば」、多コピーの相補的DNAが作り出されると考えた
しかしプライマーが結合しうる場所は程度の差によって複数ある
少なくとも千ヶ所はあるだろう
つまりこの方法ではシグナルに対するノイズの比率が大きくなりすぎる
なんとか精度を上げることはできないものか
まったく突然、どうすればよいかがひらめいた。ひとつのオリゴヌクレオチドに結合する所を、30億ヌクレオチド中に1000ヶ所特定できたとしよう。ならば、その上でもうひとつのオリゴヌクレオチドを使って、もう一度選抜をかければよいのだ。一番目のオリゴヌクレオチドが結合する場所の下流に、二番目のオリゴヌクレオチドが結合するように設計しておけばよいのだ。一番目のオリゴヌクレオチドがまず1000ヶ所の候補地を選び出す。その中から二番目のオリゴヌクレオチドが正解を一つだけ選び出す。そこでDNAが自分自身をコピーする能力をりようしてやればよい。
→第6章 ダークサイド・オブ・DNA